2017年5月30日火曜日

5.30 遠いところから。

久しぶりに帰省した。

高校時代の友人の結婚式に参列し,懐かしい人たちに会い,昼寝をし,犬を撫で,メダカを観察し,ラッキョウを洗い,肉や魚を食べ,時々本を読んだ。

久しぶりにゆっくり過ごして,じぶんのことを遠くから眺めることができた。

「重荷をなくすことはできないんです。ただそれを一時,おろして休憩して,また背負って歩く力をここで養ってもらいたい」

たまたま観たテレビでお坊さんが言っていた。
そこは,色々な悩みや迷いを抱える人たちが瞑想をするお寺だった。

確かに悩みや迷いは消えることない。
例え1つ消えてもまた1つ現れる。

しかしひととき,それをおろす事が大切なんだろうと思う。

おろしてまた背負って,歩けばよいのだ。

2017年5月29日月曜日

5.28 正しいラッキョウ。

今年はラッキョウを漬けたいなあと思っていたのだけれど,トウキョウのスーパーで売っているラッキョウ(あまり安くない)に対する微かな違和感がそれを踏み留まらせていた。

そして今日,フクオカの酒屋の軒先で売られるラッキョウ(とても安い,むしろ価格崩壊)を見て,その違和感の正体がぼんやり判明した。

そもそもこういうものは,わざわざ高いお金を出してこしらえるものではなく,旬の時期に仰山採れてしまったものに対しての「しゃあないなあ,ほっとくとアレやし,捨てるのもアレやし」という,この“しゃあない感”が根底にあるんだと思う。

でも,都会に売られてるラッキョウには,この“しゃあない感”がない。

もちろん,好きで漬けてるんよ「しゃあなく」ではないよ,という方もたくさんおられる,というか,今日びわざわざじぶんでラッキョウを漬けようなんて方は「しゃあなく」ではなく「わざわざ」の方が多いんだと思うけれど,何や今日は,叩き売りされているラッキョウの姿に,とてつもない「正しさ」を感じてしまったのだった。

2017年5月26日金曜日

5.26 ごほうびとおもいでと。

明日は1日中移動だしー寝てればいいしーむしろ移動中よく眠れるようにちょっと夜更かしするぐらいがきっといいよねっ


というわけでお気に入りのビールをば。


学生時代,初めてひとりで行ったバーで呑んだバスペールエール。



なに頼めばいいか分からなくて,でもギネスじゃなんだか芸がない気がして頼んだ,店で二番目に安いビール。


サイクリングと花が好きなマスターと,笑顔のすてきなバーテンダー,アキさん。
お二人に会いたいがために,週一回は通って一杯のビールを飲み,ついにはお店のポストカードを駅で配っておこづかいと美味しいごはんを頂くというポジションにまでのぼりつめた。


いっちょまえになった気分でカウンターに座っていたけど,いまだったらあの時のマスターやアキさんの優しさがよくわかる。


早稲田の夏目坂にあるvitisというお店です。
アキさんは独立されて高田馬場にincenseというバーを営まれている。


お二人ともお元気だろうか。
久しぶりにお会いしたい。

2017年5月22日月曜日

5.22 自戒をこめて。

先日カレーを食べにいった。

大好きな美しい知人がblogで紹介していた感じのよさそうなカレー屋さんにずっと行ってみたくて,たまたま予定の空いた休日に出かけてみたのだ。

そのこじんまりとしたカレー屋さんは,お昼時だったこともあり,とても混んでいて,私の前にも一組お客さんが並んでいた。

外観もインテリアも味があってかわいらしく,わたしはわくわくと待っていた。
そんなに待たず中に入ることはできたのだが,どうも居心地がよくない。

まず,お店の人が一人で店を回しているためか明らかに顔が焦っていて,全く笑顔がない。
席に通されたものの,水が出てくるわけでもなく,お店の人は忙しそうだから声もかけづらいし,さすがにたまりかねて「すみません」と言うと,にこりともせずに「少々お待ちください」と返される始末。

結局,カレーにありつくまで,かなりの時間を要した。ように感じた。

そして肝心のカレーは,たぶん美味しかったんだろうけど,カレーが来るまでにわたしはすっかり疲れてしまって全然味なんて分からなかった。

もし,お店に入る前に,
「ごめんなさい,いま立て込んでいてお料理お待たせするかもしれません」
と言ってくれていたら。
お店に入った時に遠くからで構わないから「お水はセルフサービスです」と教えてくれたり,声をかけた時にせめて少しの笑顔があったら。

わたしはきっと疲れなかったし,カレーも美味しく頂けたと思う。

お店はわたしが出たあとも,ひっきりなしにお客さんが来ていた。
じぶんの心が狭すぎるのか?とも思ったが,でもやはりわたしは,料理が美味しいのは飲食店としては大前提であるのだから,それと同じくらい,もしかしたらそれ以上に,そこでどんな時間を過ごせるかがすごく重要だと思う。

だけど,どんな仕事もそうなのかもしれない。

仕事ができること,実力があることは大前提であり,その人が選ばれる理由はそこじゃない,ということ。

それが何なのか,具体的なものはケースバイケースだろうが,結局は思いやりと想像力の先にある“何か”なのだと思う。

あと,どんな人に対しても,できるだけ,きもちよい存在でありたい。

バスで隣に座った人とも,コンビニのレジでお会計をしてくれた店員さんとも,ほんの一瞬だとしてもお互いの人生がふれあっているわけだから。

少し会釈して隣に座るだけで,お釣りを受けとるときに「ありがとうございます」と言うだけで,お互いの世界はずいぶん変わる。

とまあ,カレーを通して,わたしも色々考えたのであった。

とりあえず何事も,思いやりと想像力。
自戒をこめて。

5.21 小休止。

あるときからほぼ日刊を心がけていたこのblog。少々長くお休みをしてしまった。

というのも,ここ数日,どうしようもなく体調が悪く,blogどころか生きているのもままならない状態だった。

最近読んだ山口瞳さんのエッセイ『礼儀作法入門』にも,礼儀作法の基本は健康であるとあったがまさにおっしゃる通りで,体調が悪いと結局人様に迷惑をかけ,結果自己嫌悪に陥り,そのまま負のスパイラルまっしぐら。久しぶりに辛い数日間だった。

ゴロゴロしたり,愚痴を吐いたりしながら,ようやく3日かけて回復の兆しは見えてきたものの,しばらく体調を整えることに尽力しようと思っている。

たまたまLINEで連絡を取り合った朋友Aとも,お互いこのところ体調悪いぞという話になり,女は30過ぎると気持ちはがんばれても体のムリがきかなくなるという結論に。

心は嘘をつくが体は正直。
なるべく健やかに。
健康第一で,明日も。

2017年5月17日水曜日

5.16 ゆらゆら。

「そんなことないよ」と言ってもらいたくて言う愚痴ほど情けないものはないなあと思いながらも愚痴らずにはいられない。

ま,そんな日もある。

4月5月は女性にとって体調崩しやすい季節なんですって。

体調の揺れは心の揺れ。

心が揺れやすい季節ということなのでしょう。

心が揺れるときは,大学時代に先輩が言ってくれたことばをいつも思い出します。

『曲がってもいい。でも折れないでください』

揺れるときは揺れるままに。

たまに頭上の空や足元の花をみて。

2017年5月14日日曜日

5.14 母の日

今年のプレゼントは,カスミソウにしました。
エンジェルブレスというハイカラな別名もあるらしい。

しかし母の日の花もだんだんネタがつきてきた。

来年はどうしよう……

2017年5月12日金曜日

5.12 かくれた「さいのう」。

実はわたしにはものすごい「さいのう」がある。

その「さいのう」とは,

この本が欲しい,と思って古本屋に行くと,ほぼ,ある。

という「さいのう」である。

言っとくが,探して見つかるわけではない。
何となくぷらっと入った古本屋で,ぱっと本棚を見ると,用意されたかのようにそこにある,という事が異常に多い。


しかしそれが,ふつうなかなか出回らないであろうマニアックな本だったりすると,一周まわってちょっと気味悪かったりもする。


今日も,amazonのカートに入れてあとはポチるだけだった3冊に,なんとなく入った古本屋で3秒で出逢った。



欲しかった本たちを一気にコンプリート。
しかもぜんぶ百円。



じぶんの「さいのう」に痺れる。

2017年5月11日木曜日

5.10 箱庭円舞曲「インテリぶる世界」観てきた

ある時からほぼ日刊を目指していた我がblogも,ちょっと気を抜くとこの体たらく……

GW明けに締め切りがあったので。ということにしておく。

今日は箱庭円舞曲の「インテリぶる世界」を観てきた。

気づけば割りと古い付き合いの古川貴義兄さま(箱庭円舞曲主宰)と,実はもっと古いお付き合いになる扇田拓也さんと,前回出演させて頂いた「必要とされている、と思う病気」で初めてご一緒したのにわたしの中ですでに親戚の兄ちゃんのような存在である岡田のかずぴー兄さま,そしてずっとお話したかった同じく「必要とされている、と思う病気」でご一緒した松本・まっつん・寛子さん,音響のジェントル岡田氏。

大好きな方々とお会いできて,心身ともに積もりに積もった昨今の疲労が吹き飛んだのだった。

身につまされる台詞があってちょっと泣けてしまったのだが,恥ずかしいので教えない。

また明日からがんばるかあー。かあかあ。

2017年5月1日月曜日

5.1 書き書き書き……で日が暮れて

脚本書きの一日。
というか,実はもう書けていて,求められているのは微修正なのだが,修正が一番難しい。

良くしたいという気持ちがもちろんあるので,あれこれこねくり回してみるのだが,わたしの場合,往々にしてそれが空回る。

空回って落ち込んでどうでもよくなったぐらいが一番良い塩梅,というのが最近の傾向。

最終的に良いものができればそれでよいのだが,できれば空回りたくないし,落ち込みたくもない。

まあそれも,自分にとって必要なプロセスなのだと,最近はあまり落ち込まず,諦めている。

ちなみに,今書いているものは,わりとエロだのバイオレンスだのてんこ盛りな作品なのだが,なにやら制作さんが「こんな作品に参加したくない」と降りてしまわれたらしい。

わたしはそれを聞き,実は大変うれしかった。

どうせやるならとことん嫌われたい。
人間性を疑われたい。
もう見たくないと言われたい。

みんなに愛されたい,誉められたい,認められたいという思いと同じ強さでそう思ってしまう。

なんだこれ。やっかい。