先日カレーを食べにいった。
大好きな美しい知人がblogで紹介していた感じのよさそうなカレー屋さんにずっと行ってみたくて,たまたま予定の空いた休日に出かけてみたのだ。
そのこじんまりとしたカレー屋さんは,お昼時だったこともあり,とても混んでいて,私の前にも一組お客さんが並んでいた。
外観もインテリアも味があってかわいらしく,わたしはわくわくと待っていた。
そんなに待たず中に入ることはできたのだが,どうも居心地がよくない。
まず,お店の人が一人で店を回しているためか明らかに顔が焦っていて,全く笑顔がない。
席に通されたものの,水が出てくるわけでもなく,お店の人は忙しそうだから声もかけづらいし,さすがにたまりかねて「すみません」と言うと,にこりともせずに「少々お待ちください」と返される始末。
結局,カレーにありつくまで,かなりの時間を要した。ように感じた。
そして肝心のカレーは,たぶん美味しかったんだろうけど,カレーが来るまでにわたしはすっかり疲れてしまって全然味なんて分からなかった。
もし,お店に入る前に,
「ごめんなさい,いま立て込んでいてお料理お待たせするかもしれません」
と言ってくれていたら。
お店に入った時に遠くからで構わないから「お水はセルフサービスです」と教えてくれたり,声をかけた時にせめて少しの笑顔があったら。
わたしはきっと疲れなかったし,カレーも美味しく頂けたと思う。
お店はわたしが出たあとも,ひっきりなしにお客さんが来ていた。
じぶんの心が狭すぎるのか?とも思ったが,でもやはりわたしは,料理が美味しいのは飲食店としては大前提であるのだから,それと同じくらい,もしかしたらそれ以上に,そこでどんな時間を過ごせるかがすごく重要だと思う。
だけど,どんな仕事もそうなのかもしれない。
仕事ができること,実力があることは大前提であり,その人が選ばれる理由はそこじゃない,ということ。
それが何なのか,具体的なものはケースバイケースだろうが,結局は思いやりと想像力の先にある“何か”なのだと思う。
あと,どんな人に対しても,できるだけ,きもちよい存在でありたい。
バスで隣に座った人とも,コンビニのレジでお会計をしてくれた店員さんとも,ほんの一瞬だとしてもお互いの人生がふれあっているわけだから。
少し会釈して隣に座るだけで,お釣りを受けとるときに「ありがとうございます」と言うだけで,お互いの世界はずいぶん変わる。
とまあ,カレーを通して,わたしも色々考えたのであった。
とりあえず何事も,思いやりと想像力。
自戒をこめて。