ふらりと入ったお店がアタリだった時の喜びたるや。
ぷろーすと
京王井の頭線・永福町駅 徒歩3分
ドイツビールのお店。
残念ながら来年の2月?3月?に閉店されるとのこと。
店内のオブジェやグラスに値段が貼られてフリーマーケット状態。
そちらも面白そうなものがたくさんあったけれど,今日は用事の前に寄ったので長居できず。
閉店までにまた行きたいなー。
行けるかなー。
ふらりと入ったお店がアタリだった時の喜びたるや。
ぷろーすと
京王井の頭線・永福町駅 徒歩3分
ドイツビールのお店。
残念ながら来年の2月?3月?に閉店されるとのこと。
店内のオブジェやグラスに値段が貼られてフリーマーケット状態。
そちらも面白そうなものがたくさんあったけれど,今日は用事の前に寄ったので長居できず。
閉店までにまた行きたいなー。
行けるかなー。
表参道駅のEchikaはすごい。
おしゃれで美味しそうなものがたくさんある。
ガレットとかフォーとか美味しそうなお肉とかパンとかオムライスとか。
手軽なおつまみやシャンパンも。
ビールも色々種類があるし,居酒屋で飲むより安い。
へたにお店を探すより,ここでそれぞれ好きなものを買っておしゃべりしながらあれこれつまむ方が,安くて美味しくて楽しそう。駅超近ってか,駅だし。
今日はシンガポールライスを頂いてみた。
うむ。美味い。
困った時はEchikaだな。
最近まぢめに労働している。
結果怒濤の締切と締切と締切。
こう書くと売れっ子みたいだが,ちがいます。
お仕事ください。
今日は何とかがんばってマレビトの会観に行き(すごくよかったなあ),おやつにどーなつ食べました。
素晴らしく豊かな時間でした。
一片の言葉のモチーフから,どんな形で,どこまでイメージを膨らませることができるか。
そして各々のイメージを共有し,体現してみる。
あの時間,あのメンバーでしか生まれ得ない瞬間,物語の気配を,確かに感じました。
参加して下さった皆さんの発想力と柔軟さのおかげで,奇跡的なスムーズさで事が運び,わたしは本当に指をくわえて見ているだけという……。
参加して下さった皆さまには,本当に感謝です。
時間が限られていたので,今回は形にする(最後まで漕ぎ着ける)ことを優先し,そのために試行錯誤や熟考する時間が充分にとれなかったこと,わたし自身初めての試みだったのでディレクションに過不足があったことは反省。次に生かしたいと思います。
この“気配”を大切に,次に進みます。
自身の心と感覚を信じ,裏切らなければ,必ずかっこよいものが創れるはず。
とりあえず今日は出逢いと巡り合わせに感謝して。おやすみなさい。
明日はワークショップ。
じぶん主催のワークショップは久しぶりで,実は夢に見るほど緊張している。
先日参加した,インドネシアを代表する劇団テアトル・ガラシの俳優・演出家で,詩人でもあるグナワン氏のワークショップから着想を得た内容を計画している。
突然の声がけに集まってくれる俳優仲間,初めましての勇気ある方々,そして心強い協力者であるT女史に,心から感謝だ。
(もちろんきっかけを下さったグナワン氏と,関連するスタッフの皆様にも)
思えば,古巣を飛び出しぜんぶを無くして3年目が経つ。
長かったのか短かったのか分からない。
ただ遅々として,時に立ち止まりながら,まだ見えない何かをずっと追い求めるような日々だった。
何も持たないわたしに手をさしのべてくれた人,新しく出逢って仲良くしてくれる人,ずっと応援してくれる人,いつも傍にいてくれる人。
結局人に支えられてここまできた。
人は独りじゃないけれど,結局独りだ。
ぬるい湯と冷水を半々に浴びているような気が,いつもしている。
でもそれは,この先もずっと変わらない気がする。
独りじゃない心強さと,独りである厳しさが,どちらも必要なのだと思う。
明日は小さいけれど,わたしの中では大きな一歩だ。
一瞬一瞬,とにかく丁寧に向き合いたい。
急に寒くなり,
急に諸々入る。
それにしても,色々なことは,どうして一時にやってくるのか。
有り難いのはもちろんとして,
ほんとにふしぎ。
すんごーーーくヒマか,
すんごーーーくヒマじゃないか。
100か0かのマイライフ。
しばしがんばろうー。
近所に自生している朝顔の種を頂戴してきた。
懐かしい。もっとぷりっと大きかった気がするが,あの頃はまだじぶんの手が小さかったからそう感じたのかもしれない。
いまはどうか知らないが,わたしが子供の頃,学校の理科の授業で朝顔をそだて,夏休みは家に持ち帰ってその生育状況を観察する,というのが定番で,夏休みの宿題は「朝顔の咲いた数を毎日記録につける」というものだった。
夏休みが終わり,クラスメイトの朝顔は,ほぼみんな例外なく数十の花を咲かせていた。100を超える猛者もいた。
そんな中,わたしの記録は,
4つ。
わたしは朝顔を持ち帰って即刻枯らしたのだ。
言っておくが,サボったわけではない。
サボる余裕もないほど彼は即刻枯れた。
誰か見てる訳じゃないのだから,ごまかしてもっと多目に申告すればよいものを,悪知恵の働かない無垢な6歳児は,「えっ?4つ?逆にどうやって?」とみんなに驚かれ,非常に恥ずかしい思いをしたことを妙にくっきり覚えている。
わたしの「火の手」が生来のものであることを認めざるを得ないエピソードだ。
しかし,わたしは諦めない。
咲かせて見せる今度こそ。
この先2~3日分の出汁をひいて,鳥ハムなどをつくる。
たくさん頂戴したりんごでりんごケーキを焼く。
夕方天気が崩れるらしいので,慌てて洗濯物を干す。
床にモップをかける。ついこの前かけたばかりなのに,髪の毛と埃がわかんさか。
家事は好きだ。映画を流しながらだらだらやるのもいいし,無音の中できりりと作業にむかうのもいい。
この前「この世界の片隅に」を観たが,主人公のすずさんは,井戸まで水を汲みにいっていた。
かつて家事は片手間じゃできない大仕事だったんだな。
にわかにやるから「家事が好き」なんて言ってられるんです,わたしはきっと。
特別なことをしているわけではないのに,植物をみるみる育ててしまう人のことを「緑の手」,対して,どんなにちゃんと世話をしても枯らしてしまう人のことを「火の手」というそうだ。
わたしは恥ずかしながら「火の手」なのである。
植物は好きだ。ちゃんと世話もする。なのに育たない。枯らしてしまう。何が悪いのか本当に分からないのだが,とにかくダメなのだ。
少し前,わたしのパクチー好きを覚えていてくれた親戚のおじ様が,パクチーの種をくれた。
薪き時を調べると6月か9月とのことだったが,6月は機会を逸したため,9月を待って蒔いてみた。(もう10月だけど)
何でもパクチーは,発芽させるのが難しいとのこと。ただでさえ「火の手」なのに,そんなハードルが高いものに挑戦して大丈夫だろうか。
とにかく蒔いてみた。うまくいけば2週間ほどで発芽するらしい。ついでにチューリップとヒヤシンスも。(ヒヤシンスは水栽培)
みんなみんな,どうか無事に芽が出ますように……
生まれて初めてほんとうの意味でワインを買った。
自然派ワインのワンダーランド,梅ヶ丘にある「リカーランドなかます」さんにて。
自然派ワインとは,ざーーーっくり言うと,ぶどうの栽培や,醸造方法など,できる限り自然に作られたワインのことを言う。(本当にざーーーっくりです)
穏やかな優しい笑顔に,ワインへの燃えたぎる情熱が見え隠れするダンディーなワンダーランドの国王は,
「ワイン,ワカラナイ,ハチミツノアジ,スキ」
と,ワインについて片言も話せない留学生(わたし)に,もったいないほど丁寧にワインについてレクチャーしてくださった。
雀の涙のお小遣いをはたき,持ち帰った一本。
詳しいワインの覚書もうれしい。
分かったような気になりながら,毎日少しずつ,わくわくと飲んでいる。
自然派ワインの素晴らしいのは,酵母が生きているから,あけてすぐ飲みきらなくても味の変化が楽しめるところ。
むしろ,いっぺんにのんだらもったいない。
(注:一概には言えないかもしれません。如何せん初心者なので情報の曖昧さはゴヨウシャください)
「オイシイ」以外の感想が述べられるようになることが,目下の目標である。
動物が好きなので,動物園が好きだ。
前回は自分の誕生日に行ったので,真冬だった。
しかも閉園時間ギリギリに行ったので,大体の動物が,寒さと疲労で覇気がなく,人間の方も同じくで,トラがひたすら壁沿いをうろうろ往復し,カワウソ三姉妹だけが,寒さに震える人間どもを嘲笑うかのように,スケルトンの水中トンネルを,愛嬌たっぷり勢いよく泳ぎまくっていた。
言うまでもないが,真冬の動物園はあまりおすすめしない。
今日は幸いにも秋晴れ,暑くもなく寒くもなく,絶好の散歩日和と相成った。
もちこんだタイ料理を,もっさりと繁りに繁った蓮の葉を眺めながらビールで流し込み,ゆっくりとカバやキリンなどを眺めた。
しかしトラは相変わらず,前回と同じ壁沿いを狂ったようにひたすらうろうろ往復しており,彼の精神状態にいささか不安を覚えた。
カワウソ三姉妹も,相変わらずの営業部長ぶりを発揮。
「カワイイ~」という黄色い歓声に動じないどころか,ギャラリーが増えると燃えてくるようで,ますます「カワイイ~」仕草を繰り出す。
この姉妹,相当あざとい。でもカワイイ。すごくカワイイ。なんか悔しい。
ところで,上野動物園でわたしが一番好きだった動物は,アメリカンバイソンだった。
支えるのも難儀そうな大きな体は,黒い岩,いや岩壁のようで,じっと静かに身動ぎもせず佇む姿は,悟りをひらいた賢者のようだった。
何を考えているのだろう。
独りぼっちで,身動ぎもせず。
彼のことをいくら見つめても,想像すらできなかった。
異質な,そこだけ時間が止まったかのような空気が,彼の回りには流れていた。
だけど彼は,わたしが少し長く動物園に行かない間に死んでしまった。
彼を超える男はまだ現れていない。
彼亡き今,わたしの中の上野動物園は,彼のことを偲ぶ場所だ。
誰よりも強く,しかしその強さを一度として行使することなく,プレリードッグたちと共に暮らし,静かに消えていった大きな大きな黒い塊。
上野動物園にはたくさんの動物がいるのに,なぜこんなに彼のことが気にかかるのだろう。彼がいなくなった今でも。
彼を思うと,少し涙が出る。おかしな話だ。